キャスト

陳錫煌

陳錫煌
チェン・シーホァン

1931年3月19日生まれ。台湾でただひとり文化部の重要伝統芸術布袋戯類保存者と、古典布袋戯偶衣飾盔帽道具製作技術保存者という2つの国家認証を与えられた布袋戯の人形師である。また1997年に全球中華文化薪傳奨(世界中の華人を対象として、中華文化と伝統芸術の伝承活動に尽力している個人や団体に与える賞)も獲得し、伝統布袋戯のすぐれた演者であるにとどまらず、88歳を超えた高齢にしてなお完璧な演技のできる台湾でも稀な人形師である。
陳錫煌が生まれた31年、父・李天禄が「亦宛然掌中劇団」を創設した。陳錫煌は1953年に暖簾分けの「新宛然」を創立し、1970年に劇団が解散するまで、台北一帯を拠点にして活躍して、高い名声を得た。しかし「亦宛然(イーワンラン)掌中劇団」を継いだ弟が2009年に死去した事により、陳錫煌は79歳に再度「陳錫煌伝統掌中戯団」を新設し、伝統布袋戯の伝承活動に励んでいる。また李天禄と共演した『一隻鳥仔哮啾啾』(98、監督張志勇)では、中国長春映画祭で最優秀助演男優賞した。
子供の時から父親の巡業についてまわり、台湾各地の様々な劇団との共演を通し、各流派の特徴を学んで自身の芸に取り入れた。表情のない木偶(木彫りの人形)を操って、まるで本物の人間のように喜びや悲しみを繊細な動作で表現した。また、生(男性役)・旦(女性役)・浄(敵役もしくは豪傑)・丑(道化役)といった人形の種別を問わず、彼の手にかかると生命力が吹き込まれるのである。しかしその布袋戯と共に歩んできた時代は決して平坦なものではなかった。政治に翻弄された日本統治時代終盤から戦後初期まで、60~70年代の布袋戯全盛期、そして現代風にアレンジされた布袋戯がテレビで人気を博す一方で、伝統的な布袋戯の観客は減少し、社会の変化ともなう伝統芸能の衰退に深い無力感も味わったのだった。その人生は現代布袋戯の発展史といっても過言ではない。
陳錫煌はまた人形師であるだけでなく、人形の服飾・兜鎧・帽子や、槍・剣・戟など各種の武器、舞台や大道具などの制作にも精通している。その探求精神によって、さらに製作の技術を高めた。彼がつくったものは美しく、長持ちし、舞台演出上の要求を満たしている。彼が制作した服飾盔帽は収集家が殺到する。
長年伝統布袋戯の伝承に心血を注ぎ、一心に振興と発展を願い、伝統の火が絶えることを何よりも憂慮している。2009年に「陳錫煌伝統掌中劇団」を新設し、伝統布袋戯の美を広めるだけでなく、この精緻な技の伝承を図ろうとしている。また、異なる表現領域との交流を通して、台湾の布袋戯を新たな芸術の頂点に押し上げたいと考えている。

伝統文化が薄れている中でこうした伝統を記録するのはいいことだと思う。
日本での上映もとてもいいことだと思う。台湾だけでなく、日本にもたくさん布袋戲のファンがいる。
日本の皆さんにも見てもらえて嬉しい。
特に日本の若い人たちに見てもらい、台湾の伝統を知ってほしい。
若い人たちは伝統を正確には知らないから。

    陳錫煌

李天禄

李天禄
リ・ティエンルー

1910年12月2日生まれ。台北の布袋戯を家業とする家に生まれ、幼少の頃より父の元で本格的に布袋戯を学ぶ。31年、22歳で自身の劇団「亦宛然掌中劇団」を設立。62年、台湾テレビ局で初のテレビ布袋戯「三国誌」を手掛けたのも李天禄である。『恋恋風塵』(87)、『ナイルの娘』(87)、『悲情城市』(89)、などに出演し、候孝賢映画に欠かせない存在になる。李天禄の半生を描いた『戯夢人生』(93)は、カンヌ国際映画祭(93)審査員を受賞、同年の東京国際映画祭招待作品となり、大きな話題となった。95年、フランス政府より文化・科学・産業・商業・創作活動などの分野における民間人の卓越した功績を表彰することを目的としたレジオン・ドヌール勲章を授与。96年には李天禄の功績が称えられ、台湾初の布袋戯博物館「李天禄布袋戯文物館」が設立された。館内には李天禄氏が生前、劇で使用した人形、服、楽器、脚本などが展示されている。1998年8月13日、88歳で死去。

呉栄昌

呉栄昌
ウー・ロンチャン

陳錫煌の一番弟子。高校卒業後に観た布袋戯に感動し、李天禄に弟子入り。その後、陳錫煌の元で学ぶ。現在は、弘宛然古典布袋戯團(台湾語)の団長として活動。

黄武山

黄武山
ホァン・ウーサン

陳錫煌の二番弟子。小学生の時、李天禄、陳錫煌、李傳燦の布袋戯を観る。国立芸術学院大学院の修士制作で布袋戯を取り上げ、陳錫煌に弟子入りした。
現在は山宛然客家布袋戲團(客家語)の団長として活動。

スタッフ

陳錫煌

監修
候孝賢
ホウ・シャオシェン

1947年、中国・広東省梅県生まれ。翌年家族とともに台湾に移住。72年に国立芸術学院映画・演劇科を卒業後、映画界入り。80年に『ステキな彼女』で監督デビューし、3作目の『川の流れに草は青々』(82)が批評家たちに絶賛され“台湾ニューウェーブ”の代表的存在となる。『風櫃の少年』(83)、『冬冬の夏休み』(84)が2年連続でナント三大陸映画祭グランプリを受賞、その名が世界に知られるきっかけとなった。その後も『童年往時―時の流れ―』(85)がベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞を、『恋恋風塵』(87)がナント三大陸映画祭最優秀撮影賞・編集賞を受賞するなど発表する作品はいずれも高い評価を受け、89年『悲情城市』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞、中国語圏で史上初の快挙となった。
陳錫煌の父・李天禄の半生を描いた『戯夢人生』(93)は、カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した。以降も『好男好女』(95)、『憂鬱な楽園』(96)、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)、『ミレニアム・マンボ』(01)、『百年恋歌』(05)がいずれもカンヌ国際映画祭コンペティション部門に、小津安二郎の生誕100年記念作品『珈琲時光』(03)が04年ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品されるなど、常に世界の注目を集めている。自身初の時代劇アクションとなる『黒衣の刺客』(15)で第68回カンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞。初の全編日本ロケ&オール外国語(日本語)での撮影となった『珈琲時光』では一青窈、浅野忠信らを起用し、『赤い風船』(56/アルベール・ラモリス監督)へのオマージュとして製作された『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』(07)ではジュリエット・ビノシュを、そして『黒衣の刺客』では妻夫木聡、忽那汐里をキャストに迎えるなど、近年は中国語圏以外の俳優とのコラボレーションが続く。またプロデューサーとしても活躍しており、『台北カフェ・ストーリー』(10/シアオ・ヤーチュアン監督)、『天空からの招待状』(13/チー・ポーリン監督)など後進となる台湾の若手監督の育成にも意欲的である。現在、台湾電影文化協会名誉理事長。

楊力州

監督
楊力州
ヤン・リージョウ

1969年3月9日生まれ、国立台南藝術大学研究所卒業。教職に就くも、その後ドキュメンタリー映画作家となり、『奇跡な夏《奇蹟的夏天》』(06)で金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。体育政策、高齢化問題、東南アジアからの移民や労働者政策、過疎地教育などに関心を寄せている。
主な作品に、金馬奨50周年記念作品『あの頃、この時《我們的那時此刻》』(16)、『明日へダック《拔一條河》』(13)、『青春応援団《青春啦啦隊》』(11)、『奇跡な夏《奇蹟的夏天》』(06)『私は080《我愛(080)》』(99)ほか。本作が、日本での初劇場公開となる。

この映画は台湾伝統布袋戯の技、その伝承、そして父子関係に関するドキュメンタリーです。10年に及ぶ撮影期間中、布袋戯の文化は言語の弾圧・エンタテインメントの多様化など不可逆な状況を目撃してきました。台湾伝統布袋戯が消えつつある現状にもぜひ目を向けてください。

    楊力州

映画『台湾、街かどの人形劇』